Abstract
三菱重工で航空エンジンの技術者であった杉原周一が、敗戦後に勤めることとなった東陶(TOTO)で、江副孫右衛門らの庇護を受けつつも苦労して水洗トイレを作り上げていった様子が明らかにされた書に対する論評。杉原周一の書簡やオーラルヒストリーを駆使して、一技術者のサクセスストーリーを明らかにした点が評価される。しかし一方で、一技術者の成功談に留まり、研究史上の位置付けが各所で正確に行われていないことを欠点として指摘した。
Original language | Japanese |
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Pages (from-to) | 97-101 |
Number of pages | 5 |
Journal | 歴史評論 |
Issue number | 703 |
Publication status | Published - Nov 2008 |