上海のユダヤ人難民新聞--『Shanghai Jewish Chronicle』(1939年)の記事から

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抄録

1938年3月のナチスドイツによるオーストリア併合以降、ユダヤ人への迫害は厳しさを増し、ユダヤ人の海外移住が急増したが、彼らを進んで受け入れる国はなく、問題解決のためにアメリカのルーズベルト大統領が呼びかけた1938年7月のエビアン会議も失敗に終わる。この時期、中国の上海租界は入国ビザが不要だったため、1941年6月の独ソ戦開始によってドイツやその支配地域からの出国が不可能になるまでの3年間に約1万7000人のユダヤ人が移住した。移住者の中には数十人のジャーナリストがいた。彼らは上海でも活発に活動し、1939~1941年にユダヤ人難民を読者層とするドイツ語による日刊(朝刊および夕刊)・週刊・月刊新聞約10紙を発行した。その他にも英語やイディッシュ語の新聞、また学術的な定期刊行物や宗教的出版物などが発行された。ユダヤ人難民によるこれらの新聞の中でも最も重要なもののひとつである『ShanghaiJewish Chronicle』は1939年5月に創刊され、最初は週刊だったが、後に日刊になり多くの読者を得た。本稿は現在保存されている『Shanghai Jewish Chronicle』の1939年に発行された版の記事の分析を通して、上海に逃れたユダヤ人難民の意識や関心を明らかにしようとするものである。
本文言語Japanese
ページ(範囲)155-170
ページ数16
ジャーナル言語文化論究
26
DOI
出版ステータス出版済み - 2011

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